霜降の漢詩
10月23日から今日の11月6日までの2週間は霜降という季節になります。
この季節の素晴らしい漢詩をご紹介していきますね。
こちらは耶律楚材「過夏国新安県」
昔年今日渡松関
かつて私はこの松関を通ったのだ
車馬崎嶮行路難
車も馬も嶮しい道をいく旅路は、実に困難だった
瀚海潮墳千浪白
ゴビ砂漠は、潮を噴き上げる海の如く 千々に砕けて白く波たつよう
天山風吼万林丹
天山には 風が吼える 山麓には何万の林が朱く色づく
気当霜降十分爽
空気は霜降に当たって 冷たく爽やかだ
月比中秋一倍寒
今夜の空の満月は 中秋の月に比べると 一倍も寒くなっている
回首三秋如一夢
首を回せば 三秋が一つの夢のように過ぎていった
夢中不覚到新安
夢うつつの中にいて いつ新安についていたか 覚えがない
という詩です。ではこの詩の作者についてご紹介します。
耶律楚材は金という国に仕えて副宰相になるほどの才人でしたが、26歳の時に金は時の英雄チンギスハンにより滅んでしまいます。
3年後、彼は29歳の時にチンギスハンに召し出されて30歳の時には中央アジア遠征に従い、預言者として彼の側近としてチンギスハンの遠征を見届けます。
チンギスハンが死んでしまうまでの約10年は彼の人生の最盛期と言えるでしょう。
中国の金にとどまっていては知ることのできなかったあらゆる文化や民族を彼はその期間に目にします。詩人としての彼にとっては素晴らしいインプットだったように思います。
チンギスハンが彼を重用していたことは、ハンの死後も彼はオゴタイ政権で重要なポストで活躍したことからも理解できます。
チンギスハンが彼の人生に及ぼした影響は果たしてどれほどのものだったでしょうか
故国を奪い、そして才覚を認められた後にチンギスハンの征服行を共にした。
ハンと共にした旅路で得た彼の思い出は数えきれないでしょう。
ですが、38歳の時にチンギスハンは清水県で亡くなってしまいます。
諸説ありますが、この詩は耶律楚材がチンギスハンの死後に彼の没した地に向かう旅路の中で作られました。
旅の中でゴビ砂漠や紅葉といったキーワードが出てきますが、この詩のテーマはチンギスハンという主を失った彼の喪失感と霜が降り、秋から冬に変わる季節の変化をテーマとした詩です。
寒くなりつつあるこの季節ですが、大切な人に何かプレゼントでもしようかと思わせてくれる良い詩ですね。